オタクのよろこび語録~ボキャ貧編~

2次元のアイドルを推すオタクが色々やってみる。メイクとファッションが好き。

台湾で半年オタ活してたらオタクとしてのアイデンティティーを失った話

台湾で半年オタ活してたらオタクとしてのアイデンティティーを失った話 こんにちは、怒涛のテスト期間が終わり帰国までの時間を悠々と過ごしているユニコです!課題が立て込んでいるときは時間が過ぎるあまりの速さにキレ散らかしていたもののいざやることがなくなると時間の経過が体感0.5倍速に感じる…。バグってんのかこれ?

 

 唐突だけどもう本題に入る…。

 

 台湾で1年間留学することになってから早くも前半の学期が早くも終了したわけだけど私が一番気がかりだったのが日本で今までやっていたオタ活ができなくなることだった。プロフィールにも表記してあるようにわたしはST☆RISHの聖川真斗くんの大ファンだしうたの☆プリンスさまっ♪が大好きだ。今年は推しのソロアルバムが出るし、来年はコンテンツが10周年を迎える大事な年。きっとイベントもたくさんある。日本から台湾はそんなに遠くないとは言え、イベントのたびに日本に帰ることは難しかった。実際にSecret Garden PartyとかVRライブとか舞台挨拶とかもし日本に居たら絶対に言っていたであろうイベントは血の涙を流して見送った…。本当は推しの巨大広告を見るためだけに東京に行きたい。

 

 

愛と呼べる木の下で

愛と呼べる木の下で

  • provided courtesy of iTunes

 来月はもうすぐ聖川真斗くんのアルバムが発売する…。

 

「本当に好きなら何としてでも行くべき。」行く前は強気でそんなことを考えていたのだけれど、実際は思ったよりも課題や全く違う生活環境に馴染めなくて気がついたらそんな余裕は失っていた。死ぬほど遊んでいたShinning Live!にすら気がつけばログインしなくなっていて、聖川真斗くんから「元気か?また会いに来てくれると嬉しい。」というメッセージが頻繁に来るようになった。

 

 そんなわたしの気休めになったのが推しのグッズをもってオシャレなカフェに行くことだった。最近はオタク界隈で推しのぬいぐるみやグッズを自分の日常と共にInstagramにアップするのがオタクの遊びとしてかなり定着したように感じる。わたしも聖川真斗くんのブロマイドやネコちゃんを連れてよくカフェに出掛けるようになった。

 

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 実際カフェに出掛けてみてとても楽しかった。もともとかわいいものは好んでいたし、台湾のカフェを開拓するうちに地元に詳しくなるだけでなく授業で習った中国語を使ってみるいい練習の場になったと思う。台湾人のオタクにいつもオタク同士で何をして遊ぶのか聞いたところ「台湾ではあまりイベントが多くないのでカフェに推しのぬいぐるみを持っていく。」と教えてくれた。

 

 そして今月14日についにうたプリの映画が公開された。幸いにも台湾で同時期に上映が始まった。上映開始翌日の15日に初めて観に行った。スクリーンの中で生き生きとパフォーマンスをする推しを見て久しぶりにオタクとしてのアイデンティティーを取り戻したような気がした。そして映画を観たその日の夜、今のわたしは果たしてオタクと言えるのかと悶々と考えた。Instagramでオタ活を楽しんでいる人を否定したいわけではないのはもちろんだし、楽しみ方は人それぞれで他人が文句を言う筋合いは全くないと思う。公序良俗に反しない限りは。それでも今の私はオタクとはいいがたい何かになっていると感じた。ただ推しの存在を便宜的に使っているだけじゃないかと自問自答した。供給はないどころかむしろ多いにもかかわらず今までの新鮮な気持ちを忘れていたことに気が付いた。

 

スクリーンの中で音也くんが言っていた「永遠なんてないってわかってる…。だからこそ今この瞬間を大切にしたい。」というこの言葉。できることなら永遠にうたプリが終わらなければいいと本気で願っているけどいつかは終わってしまうものだとわかっている、そんなオタクにとってすごく刺さる言葉なんじゃないだろうか…。私にはすごく刺さった。スクリーンの中の彼らはアイドルだ。アイドルだって当たり前に年を取っておじさんになるしいつかは引退してしまうかもしれない。アイドルが直訳で「偶像」であるように彼らの本当の胸中とはよそにファンによって作られた架空のイメージが時に彼らを苦しめるかもしれない。でもそういった全てを含めた存在こそが「アイドル」であり、その不安定で儚い存在でありながらもその瞬間に全力で輝こうとする彼らの魂は何にも代えがたいほどに神聖で美しい。

 

 話がそれてきたので何が言いたいかというと、このアイドルというコンテンツに私は「瞬間の輝き」を求めている。他のアニメはとり溜めして後で一気見、というのもありかもしれない。でもうたプリは少なくとも私にとっては違う。幸いにも新しいプロジェクトが始まると彼らは気まぐれにツイッターに現れて近況報告をしてくれるし、彼らの歩みをリアルタイムで応援できる。新アルバムの宣伝で音也君が一人でツイッターをやっていた期間、日本で豪雨になった時は「大丈夫?」と心配してくれ自分は自転車に乗って仕事に行くのは諦めると話してくれた。わたしにとってアイドルの彼らが次元を超えて「今、ここ」にいるという事実を感じさせてくれること、時間を共有できていることが何より励みになる。だからイベントも好きだ。台湾に来てからというものそれが思うようにならない。だからわたしは自分がオタクでなくなったように感じた。今までオタクとして生きて来たのでそういったドキドキ感を摂取できなくなると虚無感がすごい…。

 

 こうやって見るとただのわがままかもしれない。おそらく何かに深く熱中したことのない人にはなかなか理解されないことだともわかっている。オタクとしてのアイデンティティーを失うなんて大げさでもしそれが本当ならそれは依存に過ぎないと言ってしまえばそれまでだ。それでも推しの存在はわたしにとって現実を生きるモチベーションだし、これからもそれは変わらない。私が台湾に来てから自分の好きなコンテンツから自分の求めるものを摂取できなくなった。いったん離れても戻ってこられるのがうたプリだとしてもわたしが欲しいものはうたプリの時間軸と時間を共有できているという感動だ。とはいえこれからも推しのグッズを持っていろいろな場所に出かけることになるとは思う。うーん、上手くまとまらない…。だがとりあえずログインする余裕がなくなってきたシャニライを始めるところから始めたいとも思う。なんか愚痴みたいになってしまったが自分の中でずっともやもやしていたのでいったん文字にしてみた…。